明治から大正にかけて作られた文部省唱歌は、作者を明示しない方針で教科書が編纂されたため、
作詞者・作曲者不明の作品がほとんどだそうです。わかっているのは、のちの調査で判明したものだけです。
この歌も、作詞者はわかりませんが、作曲者は、「浜千鳥」「靴が鳴る」など優れた童謡・唱歌で知られる
弘田龍太郎だと言われています。
地上には、家々の瓦葺きの屋根が波のように続いており、空には雲が波打っている。その間の空を朝風
に吹かれて鯉のぼりが泳いでいる――というみごとな叙景歌ですが、ことばがむずかしいためか、近年は
あまり歌われなくなりました。
鯉のぼりの歌といえば、「屋根より高い鯉のぼり……」を思い浮かべる人のほうが多いようです。
第10回 紅 葉
作詞 高野達之 作曲 岡野貞一
1 秋の夕日に
照る山紅葉
濃いも薄いも
数ある中に
末をいろどる楓や蔦は
山のふもとの裾模様
2 渓の流れに
散り浮く紅葉
波にゆられて
離れて寄って
赤や黄色の色さまざまに
水の上にも織る錦
作詞・作曲の高野達之と 岡野貞一はこの曲の他にも「ふるさと」、「春が来た」,「朧月夜」等の
名曲を数多く残しているゴールデンコンビです。コーラスでは低音部が高音部の一小節後ろを
追いかけてゆくカノンでよく歌われています。2番の詩で「散り浮く」と言う見事な表現を、間違っ
て「散り行く」と歌っている人がいますが、詩から見えてくる情景が全く違ってくるので、注意した
いところです。
京都南禅寺三門
第9回 雨ふり
作詞 北原白秋 作曲 中山新平
1 あめあめふれふれ母さんが
蛇の目(じゃのめ)でおむかいうれしいな
ピッチピッチチャップチャップランランラン
2 かけましょ鞄を母さんの
あとからゆこゆこ鐘が鳴る
ピッチピッチチャップチャップランランラン
3 あらあらあの子はずぶぬれだ
柳の根かたで泣いている
ピッチピッチチャップチャップランランラン
4 母さん僕のを貸しましょか
君君この傘さしたまえ
ピッチピッチチャップチャップランランラン
5 僕ならいいんだ母さんの
大きな蛇の目にはいってく
ピッチピッチチャップチャップランランラン
この歌を5番まで歌える人はなかなか、いないのではないでしょうか?。1番の【蛇の目】が
分からないからと音楽の教科書から外された為に余計に知る人が少なくなったのでしょう。
昭和世代の人なら知っていますが【蛇の目】は蛇の目傘のことですが、元禄の頃に始まった
そうです。中央と端まわりを青土佐紙、中間を白紙で張り、開くと蛇の目模様が現れる傘の
ことです。幼い頃は意味はよく分からずに歌っていましたが、そのうちああそういう事だった
のかと、優しい男の子の心情が理解できるようになったのを自分もおぼえています
額アジサイ R.2年6月撮影 奥山・雨山自然公園にて
1 夕やけ小やけの 赤とんぼ
負われて見たのは いつの日か
2 山の畑の 桑の実を
小籠に摘んだは まぼろしか
3 十五で姐やは 嫁に行き
お里のたよりも 絶えはてた
4 夕焼け小焼けの 赤とんぼ
とまっているよ 竿の先
今では「あかとんぼ」と、アクセントが「かと」になっていますが、この曲が作られた当時は「あ」を
高く「かとんぼ」を低く発音していたそうです(ハーモニカの先生から聞きました)。こう言うことを考え
ると、今の若いミュージシャンたちのように、ことばのアクセントなど無視した作曲法のほうが、
あるいはいいのかもしれませんね。
この詩は、意味のうえから考えると4番からはじまると想うほうが、詩の感情はよくわかります
竿の先に赤とんぼが止まっているのを見て、幼時の記憶が次々と甦ってきたきた、
ねえやにおんぶされて赤とんぼを見た事があったが、あれはいつのことだったろうか、
山の畑で桑の実を摘んだ事があったような気がするが、あれは夢だったのだろうか
ねえやは嫁にいってしまい、今では実家の様子もわからなくなってしまったーーーと
云ったふうに。
自分の記憶がどのくらい昔までさかのぼれるか考えてみるのもたのしいものですね。
棒の先にとまった赤とんぼ
① みかんの花が 咲いている
思い出の道 丘の道
はるかに見える 青い海
お船が遠く かすんでる
② 黒い煙を はきながら
お船は どこえ行くのでしょう
波にゆられて 島のかげ
汽笛が ぼぅと 鳴りました
③ いつか来た丘 母さんと
一緒にながめた あの島よ
今日も 一人で 見ていると
やさしい母さん 思われる
私はハーモニカを少し吹きますが、「みかんの花咲く丘」は、下手ながら得意曲の一つです。
全体に詩はとても切ないけれど、このやさしく伸びやかなメロディーがしみじみと心を癒して
くれます。TBSの番組「BS日本・心のうた」の中で言っていましたが、元々の歌詞では【やさしい
母さん偲ばれる】だったのがNHKで放送される際に【やさしい姉さん思われる】に置き換えられ、
その後今の歌詞になったそうです。敗戦後は空襲等で母親をなくした子供たちが多く、彼等に
つらい思いをさせ無い為だったと思います。
元の歌詞が難しい等の理由で書き換えるのは賛成できませんが、こう言うのは私的には、まあ
いいかなと思います。
みかんの花
① 春は名のみの風の寒さや
谷の鶯 歌は思えど
時にあらずと 声もたてず
時にあらずと 声もたてず
② 氷解け去り葦は角ぐむ
さては時ぞと 思うあやにく
今日もきのうも 雪の空
今日もきのうも 雪の空
③ 春と聞かねば知らでありしを
聞けば急かるる 胸の思いを
いかにせよとの この頃か
いかにせよとの この頃か
第
唱歌の中でも名曲といわれるこの歌は、一番では早朝の漁村
二番では昼間の田畑、三番では夕暮れの村落と言うように
田舎の一日の情景をスケッチ風に文語調で描いた三拍子の
旋律が美しい曲です。
題名は「冬景色」となっていますが、「小春日」や「時雨」と言った
ことばが出てくるところから、初冬の頃だろうと私は思います。
現在は小学五年生の歌唱教材に二番まで選ばれているらしい
ですが、現代っ子がそこに描かれた日本人のもつ原風景を
イメージするのは難しいかもしれません。
京都府の「美山茅葺の里」の冬景色 (平成29年2月の実技の授業)
「里の秋は」戦後に修正されて今の三番が出来、題名も里の秋となりました。
私はハーモニカでこの曲をよく演奏しますが、この三番が大切であるといつも説明します。
第2回
和泉環境センターコスモス園で満開のコスモス H30年10月